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​長崎街道木屋瀬宿とは

木屋瀬宿は、江戸時代には長崎街道の筑前六宿の一つであり、長崎街道と赤間道との追分の宿として、重要な役割を果たしていました。
長崎街道は、世界の文物や情報を、大阪・京都や江戸そして全国に伝える道であり、また、オランダ商館長や、参勤交代の九州諸大名、文人・商人らも利用する交通量の多い道として九州でもっとも重要な役割を持っていました。
参勤交代の大名行列、商人、神社へ参拝する庶民など、多くの人でにぎわった街道と宿場。長崎街道は、ケンペル、シーボルト、伊能忠敬、吉田松陰なども通った道です。
今も残る古い街並みは、遠く江戸の風情を漂わせ、ノスタルジックな空間を演出しています。

 

北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館

歴史への旅体験をテーマとした

「みちの郷土史料館」。

宿場にまつわる史料を中心に

展示しています。その名が示すように、

街道の旅、歴史への旅体験が

テーマです。
芝居小屋風の多目的ホール

「こやのせ座」からなる

長崎街道木屋瀬宿記念館は江戸時代の

町家を思わせる白壁の外観が特徴的な建物です。
旅人の気分を味わいながら、宿場町の風情を感じてください。

旧高崎家住宅(伊馬春部生家)

高崎家は屋号を柏屋(カネタマ)と

いい、本家柏屋の7代目高崎四郎八が

分家して創立した家です。

建築年代は天保6年と考えられます。

放送作家として活躍した伊馬春部は、

カネタマの5代目として生まれました。

新宿ムーランルージュ創立期の

座付き作者となった後、ラジオ、

テレビ、舞台などの脚本を手がけました。

江戸時代末期の大きな商家の代表的な宿場建築として蘇り、伊馬春部に

関する資料もあわせて展示公開しています。

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